2月25日

久しぶりに長崎の実家に帰ってきました。
両親、妹家族、弟、私たち家族、全員集まって、とても楽しく過ごしてきました。

長崎からの帰りの車の中で、携帯の写真を整理していたら、偶然この写真が出てきました。
今、再びこの記事を見ることになったのは、何か意味があるのかもしれないなぁと思う節があるので、今日はこのことについて書いてみたいと思います。

この写真は、6年前に、長崎歴史文化博物館で出会った、新聞記事です。
「長崎から国産(石鹸)第一号」
これには諸説あるのですが(見方によって、第一号と言われている場所が数箇所あります)、これを知った時、石鹸と私の距離が急に近くなったような気がしました。
業として石鹸作りを始めて数年間、私は精神的な部分で、理想通りの石鹸作りができずにいました。
理由はいろいろあるのですが、薬機法(旧薬事法)の縛りに(正直に言えば、当時の薬務課の担当の方との関係に)行き詰まっていたというのが一番の理由でした。(薬務課の方には、その後不適切な言動を謝罪していただいて、今はきちんと対応していただいています。)
今まで、個人で石鹸業をやってきた方々はどのようにしてきたのだろうと気になるようになり、調べていたら、私の出身地長崎が石鹸発祥と言われている場所の一つだということ、そして、酒屋だった一人の男性が酒類と共に石鹸製造所の看板をあげたということを知って、どんどん商業用としての石鹸の歴史を調べるようになりました。
石鹸が気になってしょうがない、そんな気持ちがとても懐かしいです。
石鹸が商業化された歴史を知ったことで、5年前のナガサキリンネの「はじまりの生活用品」という企画展のお話をいただくことになり、石鹸の歴史や現状について、さらに調べを進めることになりました。
石鹸の歴史の情報収集には、高校時代の日本史の先生も協力してくれて、たくさんの貴重な資料に出会うことができて、明らかにこの時期から、私の心持ちも変わっていきました。
石鹸が初めて商品化された影にある、製造者の努力と苦労も同時に知ることになり、もし私がこの延長線上に居ることができるとしたら、今ある苦労は屁でもないと思えるようになりました。
あれから5年。
今日、長崎からの帰りにこの写真を見ることになり、初心を忘れてはいけないなと思いました。
私が石鹸を販売し始めたのも長崎でしたし、この仕事の相談をできる友達もいたりして、石鹸は、長崎を単なる故郷ではなく、心を律してくれる場所にしてくれたような気がします。

これをきっかけに、5年前のリンネで展示していただいた時の原稿を見直したりしたのですが、「今もこの気持ちは変わっていないな」と思える原稿が見つかったので、コピーを下に載せてみますね。
長くなりますが、よかったら読んでください。
              ↓

「これからもこの手から、循環するものを作りたい。」 

石鹸と関わってから、いろんなものが循環していくのを感じるようになりました。
そして、それが、私が石鹸を作っていく上でのテーマになっていきました。

石鹸は洗い流すもの、泡も香りも形も消えてなくなります。
でも、洗い心地や洗い上がりが気持ちいいと、洗い流したあとも感覚は残り、泡の感触も香りも、心の中にしっかり残るのです。
そして、心の中に残ったものは、思い出となり、巡っていきます。

流れた泡は、自然へと還っていきます。

手と心と頭をたくさん動かして、時間をかけて作った石鹸は、私のもとから離れたあとも、私の中にしっかり残ってくれます。
そして、経験として支えてくれます。

私が得た知識は、知りたいと思っている人の所へ届き、そこで根を張ります。

小さな四角の石鹸は、思いを届けてくれたこともありました。
そして、使ってくれた方とつなげてくれました。

調べた石鹸の歴史は、今の複雑な石鹸事情を納得させてくれました。
そして、背中を押してくれました。

少しずつでも、毎日作り続けることで、私の石鹸の歴史もしっかりと残って、巡っていくと思います。

消えるからこそ残る、目に見えない形でも、移り変わりながらでも、残りつながっていくものがある、この循環がとても心地よいのです。

あるのが当たり前、しかもこだわらなければ安く手に入る石鹸を、私は最も時間と手間がかかり不効率と言われているコールドプロセス製法で、安定性のない自然素材と向き合いながら、かつ、複雑な薬事法という法に則って作っています。

でも、私は、この心地良い循環を感じているから、不効率だなんて思っていません。

出来上がる量は少なくても、見えないものをたくさん得ているから、しっかり残していると思っているから、いっぱい感じられるから、そして何よりそれが心地良く、ゆっくりでも循環しているから、私はこのやり方を続けたいと思います。

これは、私自身の生活の中で、石鹸だけに限らず、いろんな「もの」や「事柄」に対して言えることなのです。
「もの」や「こと」、「ひと」、「ことば」、「思い」など、いろんな事が行き来して循環する生活は、きっと私たちを心地よく豊かにしてくれると思います。

今日、ナガサキリンネに足を運んでくれた方にも、何気なく生活に息づいているものに、心地よい循環を感じていただけたらと思います。

2013年3月 Savon de Rin 久原抄織 

2018-02-25 | Posted in 日記Comments Closed 

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